日々のつぶやき。。。。。

 ちょっと感じたこと、考えたことを整理するためにも書いてみたいと思います。 思ったまま、感じたままをそのまんま。。。
 

日々のつぶやき。。。。。

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2007/03«2007/04 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 »2007/05
     
今の会社に入ってやっぱりなるべく気をつけるようにしているのは、
暗い雰囲気をつくってしまったり、自分がネガティブになることで回りに嫌な空気を撒き散らさないこと。


入る前に先生から伺っていたのは
「クリエイターさんたちがずっと飛んでいられるように、私の役割は足元を固める仕事を担う」ということだったから、足を引っ張らないようにと思って。



でもその「飛んでる」の意味、どうやら私自身が真の意味をわかってなかったんだ!!!ってこの間気がつきました。




もともと、ふわふわと飛んでる気分になるためには笑いの絶えない、楽しい環境を生み出すことが一番だと思ってました。
いつもおなか抱えて笑っていられて、くだらないこともたくさんいえるような。
変に萎縮したりせずに、のびのびと作業できる環境。
だから被りもいつでも祓えて、体の中の気が充満している状態。







もちろん、上のようなことって一番大事なことだけれども。
でもそれだけが目的じゃない。



クリエイターの方々が今度出張に行かれるのですが、そのときにある人がふと漏らした言葉。

「出張から帰ってきたら『デザインしたい!!!』モードになってると思うよ」





そっか!そういうことか。


ただただ、楽しくおかしく毎日過ごせばいいってもんじゃなくて、
いい刺激を受けたりして、それが情熱と融合した結果、作品が出てくるための環境が「楽しく毎日過ごしていられて飛んでる」ことだから、会社はそうである必要があるんだ〜!!!


なんだか、ちゃんとそういうところまで理解してなかった気がします。

全然わからない世界だから、「クリエイターって楽しくいなきゃいけないんだ〜」位の稚拙な認識しかなかったかも。





でも、『作品』を音楽。。。演奏におきかえるとなんだかとってもわかる気がする。

いい音楽や感動する音楽を聴くと自分でも演奏したくなったりするし、作曲者の背景や曲に込めた思いを感じていると自分の中の『何か』が反応してどうしても何か弾きたくなる。
そういう時って何時間でも弾き続けても飽きないもんだ。




ピアノの場合は弾きたい曲に相応の技能が必要なので^^;、そういう場合の環境作りとして「日々の努力」が欠かせないわけです。
だから、練習してなくて突然ショパンが弾きたくなっても、気持ちばかりが表現したくてウズウズするのに、それに反して実際の指が動かず全然弾けなくて。。。。。そのうちに自分の気持ちと実際の音とのギャップになんだか弾くのが嫌になっちったり^^;

毎日気持ちを萎縮させずに飛んでいるのはピアノのために毎日ハノン(指を動かす目的のためだけの練習曲集)とか練習曲集を欠かさず練習することに近いのかも。





ちょっとだけ、クリエイターって人たちのこと、理解できたのかな?

だといいな。








     
この前、会社に先生がお見えになったときに前世の話になりました。


皆さん、他の社員の方はいろいろ活躍してたみたい。。。。





私はというと。。。。町娘。。。。
先生はお茶屋さん?呉服屋さん?とおっしゃっていました。



私自身で前から感じていたのはどこかの大きな問屋さんやお店の下働き。
奉公に出されてそこでずっと働いてたんだと思います。

多分、お茶汲みもしてたと思います。
子守もしたり、雑巾がけしたり。。。。。。。。

お店にきたお客さんそれぞれに
「この旦那さんは熱くて濃いお茶が好きだから」とか
「このおかみさんは温めのお茶が好き」とか
そんなことかんがえながらお茶汲みして。。。。



たまに自分のおたなのおかみさんに言いつけられたお使いに出るのを
本当に楽しみにしていて。

なぜならその道すがら近所のお寺だか神社におまいりにいけるから。

縁日のおつかいなんてそれはもう楽しみで。。。。。

門前仲町に勤めていたとき、お昼休みに毎日お不動さんと八幡さんをお参りするのは「あたりまえ」な感覚だったのです。「もしかして私、前世でもこうしていた。。。?」って思ったとき、なにかがずきゅーんと胸に来た気がしました。












なーんてことを「前世」と思うと考えてしまいます。




働いてたわりに、いまはものすごい怠け者だけど^^;








なんだか、他の社員方々に比べるとかなりしょぼい。。。。。。^^;


一流の人たち捕まえて自分と比べるのもおかしいですが。^^;











私の見ているこの前世、あっているかどうか、今度先生に伺ってみようと思います♪



     
今日は自分自身の芯をしっかり持って揺らがないことってとっても大切だと実感しました。


自分を取り巻く要素がいろいろと変わってしまっても自分自身さえしっかりしていれば大きく揺らいでぶれる事もなくなってくる。


今の私は環境が変わったことによって自分が思っている以上に緊張しているみたい。



きっと自分自身の中の「芯」だと思っていたことが、本当は芯ではなかったのだと思います。実は殻だけだったような感覚。。。。


10年も同じところにいたのだし、多少プロジェクト移動があってやることが変わったとしても基本、システムに携わることには変わりない。
だからある意味で温室のような環境だったのだと思います。


温室の中で根を太らせ、茎を大きくしたとしても
いざ外に出したときにちゃんときれいに咲けるかどうかは別問題。
(もちろん、温室の中で根を太くできないままだとそれ以前の問題になってしまうけど。。。。)


自分でもある程度「もう十分だ」と思えたからの転職だったけれどもそれが世間で通用するかどうかはこれから。


もしかしたら、私が温室で育ててきたのは自分で考えているものとは違ってもっと別のところにあるのかもしれないし。










オフィスを後にするときに、瞬間的に同調できた相手の方の明るさ(?)で帰り道も救われました。


まさに、これこそ「芯」なのかも!!!!!と実感!





そういう芯を私も持てるようにがんばろうと思います。



     
仏様との会話っていろいろなパターンがあるみたいです。

私は、人と人との「会話」のような、
「○○はこれで合っていますか?」→「はい。そうですね」
「××っていうのはどんなものなのでしょうか?」→「▽▽みたいなものです」
みたいに、キャッチボールが成り立つものだと思っていました。


だから、問いかければ答えを下さると思っていたのです。

もし答えが見えなければ、それは見えない自分のアンテナが不調なのだろうと思っていました。
アンテナの向きだったり、強さだったり、その時々でいろいろでしょうが。




先生と今日はお話しするチャンスがあり、お伺いすることができました。


仏様と一体化する。。。仏様の魂と会話する。。。。




言葉にとらわれていた私にとって、今回の京都の軍荼利明王とはそういう会話はできてなかったと思います。
必死に言葉が降りてくるのを仏像の前で待っていました。





お寺など万民が訪ねそこでお参るする仏様と自分自身のご本尊の仏様とは少し会話の方法が違うとのことです。
お寺などの仏像はそこに「いる」だけで人々を救うのですが、自分自身のご本尊は少し違ってくるみたいです。

うまくはいえないのですが、先生にいろいろとお話を伺っていている中で、先生の教えてくださる言葉の中にある『感覚』を少し理解できたような気がしました。あくまでも私のできる範囲の中だけですが。。。
腑に落ちて少し心が動いたのか、意味も無く涙が出そうでした。


今まで、頭の中で会話形式だったものをもう少しイメージというか感覚というか。。。もっと概念的に捉えられるようにしてもっとたくさん仏様と会話できるようになりたいと思います。






     
そろそろ、別のところで書いていたブログのミラーリングをやめて、
こちらはこちらで書きたいことを残していこうと思います。




昨日、今日と奈良・京都を巡ってきました。

今回は観光目的というよりも御参り目的だったので
訪ねたお寺・神社はそんなに多くありません。
特に千手観音のあるお寺や東寺をお参りしてきました。


私は軍荼利明王にご縁があり、それがわかってから一度も仏像の軍荼利明王を御参りしたことがありませんでした。
だから今回は特に楽しみで、お会いする事によりよりいっそう自分の中でのイメージが明確になるのだろうととても期待していました。
また、いろいろと会話ができるかなぁ。。と。



でも実際お会いしてみて、違いました。

会話をするという点では毎日深川で通っていたせいか、お不動様のほうが全然会話しやすいのです。


軍荼利明王との会話がうまくできない。。。。


一泊二日で行ったのですが、初日はなんだか釈然としないまま東寺を後にしました。




二日目。
再度リベンジを。

どのくらいだったでしょうか。。。。
家族そっちのけでずいぶんと長い時間立ち尽くしていました。
その間、暖かく見守ってくれた家族には心から感謝です。
ずーーーっと見つめ続けているうちに軍荼利明王と自分以外の仏像や観光客がまったく気にならなくなってきました。


軍荼利明王と自分だけ。。。。


やっとそうなってきたときに会話ができたような気がします。







自分のご本尊なのにそれだけ時間をかけないと会話できないのがなんだかとっても悔しいというかやっぱり納得できません。
普段会話ができていないからなのか。。。。。?





東寺の千手観音をお参りしていながら「何でだろう」と考えていたときにふっと判った気がします。
遠くに離れて仏像を目の前にしていないときのほうが会話ができる気がしたのです。もやもやではなくはっきりと答えが返ってくるような。
実際、講堂をはなれ一息ついているときのほうが軍荼利明王としっかり会話ができたと思います。





家族の本尊がどの仏様なのか見つけるために、家族はお寺をいろいろとめぐってきました。
まず、仏像を目にしそこから会話するのです。

だけれども私は感覚的な「軍荼利明王」だけが心の中にあり、形は写真集で見るのみ。。。。
だからもっと目の前に軍荼利明王を出現させるためにはもっと実物を目の前にして、目に焼き付けて本当に細かいところまで再現できなくてはいけない、だから仏像をお参りしなくてはいけないと思っていました。




仏像を目の前にすると「いつもより会話できるはず」と思ってしまったのだと思います。
だから、目の前の形にとらわれて心で会話できなかったからなかなか通じにくかったのかもしれません。



以前、先生のお宅でご本尊をお祭りする話をしたことがありました。
家族と私のご本尊が違うのでどれを最初に祭るのか。。。
でも先生がおっしゃっていたのは、仏像が無くても自分の心の中にある仏様をそのまま目の前に映してそれを拝めばよいと。


その言葉の意味を身をもって体験したような気がします。











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Author:clear&blue
トモバタラキしながら家族と2匹のネコと2人2匹暮らしをしています。

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