そろそろ、別のところで書いていたブログのミラーリングをやめて、
こちらはこちらで書きたいことを残していこうと思います。
昨日、今日と奈良・京都を巡ってきました。
今回は観光目的というよりも御参り目的だったので
訪ねたお寺・神社はそんなに多くありません。
特に千手観音のあるお寺や東寺をお参りしてきました。
私は軍荼利明王にご縁があり、それがわかってから一度も仏像の軍荼利明王を御参りしたことがありませんでした。
だから今回は特に楽しみで、お会いする事によりよりいっそう自分の中でのイメージが明確になるのだろうととても期待していました。
また、いろいろと会話ができるかなぁ。。と。
でも実際お会いしてみて、違いました。
会話をするという点では毎日深川で通っていたせいか、お不動様のほうが全然会話しやすいのです。
軍荼利明王との会話がうまくできない。。。。
一泊二日で行ったのですが、初日はなんだか釈然としないまま東寺を後にしました。
二日目。
再度リベンジを。
どのくらいだったでしょうか。。。。
家族そっちのけでずいぶんと長い時間立ち尽くしていました。
その間、暖かく見守ってくれた家族には心から感謝です。
ずーーーっと見つめ続けているうちに軍荼利明王と自分以外の仏像や観光客がまったく気にならなくなってきました。
軍荼利明王と自分だけ。。。。
やっとそうなってきたときに会話ができたような気がします。
自分のご本尊なのにそれだけ時間をかけないと会話できないのがなんだかとっても悔しいというかやっぱり納得できません。
普段会話ができていないからなのか。。。。。?
東寺の千手観音をお参りしていながら「何でだろう」と考えていたときにふっと判った気がします。
遠くに離れて仏像を目の前にしていないときのほうが会話ができる気がしたのです。もやもやではなくはっきりと答えが返ってくるような。
実際、講堂をはなれ一息ついているときのほうが軍荼利明王としっかり会話ができたと思います。
家族の本尊がどの仏様なのか見つけるために、家族はお寺をいろいろとめぐってきました。
まず、仏像を目にしそこから会話するのです。
だけれども私は感覚的な「軍荼利明王」だけが心の中にあり、形は写真集で見るのみ。。。。
だからもっと目の前に軍荼利明王を出現させるためにはもっと実物を目の前にして、目に焼き付けて本当に細かいところまで再現できなくてはいけない、だから仏像をお参りしなくてはいけないと思っていました。
仏像を目の前にすると「いつもより会話できるはず」と思ってしまったのだと思います。
だから、目の前の形にとらわれて心で会話できなかったからなかなか通じにくかったのかもしれません。
以前、先生のお宅でご本尊をお祭りする話をしたことがありました。
家族と私のご本尊が違うのでどれを最初に祭るのか。。。
でも先生がおっしゃっていたのは、仏像が無くても自分の心の中にある仏様をそのまま目の前に映してそれを拝めばよいと。
その言葉の意味を身をもって体験したような気がします。
こちらはこちらで書きたいことを残していこうと思います。
昨日、今日と奈良・京都を巡ってきました。
今回は観光目的というよりも御参り目的だったので
訪ねたお寺・神社はそんなに多くありません。
特に千手観音のあるお寺や東寺をお参りしてきました。
私は軍荼利明王にご縁があり、それがわかってから一度も仏像の軍荼利明王を御参りしたことがありませんでした。
だから今回は特に楽しみで、お会いする事によりよりいっそう自分の中でのイメージが明確になるのだろうととても期待していました。
また、いろいろと会話ができるかなぁ。。と。
でも実際お会いしてみて、違いました。
会話をするという点では毎日深川で通っていたせいか、お不動様のほうが全然会話しやすいのです。
軍荼利明王との会話がうまくできない。。。。
一泊二日で行ったのですが、初日はなんだか釈然としないまま東寺を後にしました。
二日目。
再度リベンジを。
どのくらいだったでしょうか。。。。
家族そっちのけでずいぶんと長い時間立ち尽くしていました。
その間、暖かく見守ってくれた家族には心から感謝です。
ずーーーっと見つめ続けているうちに軍荼利明王と自分以外の仏像や観光客がまったく気にならなくなってきました。
軍荼利明王と自分だけ。。。。
やっとそうなってきたときに会話ができたような気がします。
自分のご本尊なのにそれだけ時間をかけないと会話できないのがなんだかとっても悔しいというかやっぱり納得できません。
普段会話ができていないからなのか。。。。。?
東寺の千手観音をお参りしていながら「何でだろう」と考えていたときにふっと判った気がします。
遠くに離れて仏像を目の前にしていないときのほうが会話ができる気がしたのです。もやもやではなくはっきりと答えが返ってくるような。
実際、講堂をはなれ一息ついているときのほうが軍荼利明王としっかり会話ができたと思います。
家族の本尊がどの仏様なのか見つけるために、家族はお寺をいろいろとめぐってきました。
まず、仏像を目にしそこから会話するのです。
だけれども私は感覚的な「軍荼利明王」だけが心の中にあり、形は写真集で見るのみ。。。。
だからもっと目の前に軍荼利明王を出現させるためにはもっと実物を目の前にして、目に焼き付けて本当に細かいところまで再現できなくてはいけない、だから仏像をお参りしなくてはいけないと思っていました。
仏像を目の前にすると「いつもより会話できるはず」と思ってしまったのだと思います。
だから、目の前の形にとらわれて心で会話できなかったからなかなか通じにくかったのかもしれません。
以前、先生のお宅でご本尊をお祭りする話をしたことがありました。
家族と私のご本尊が違うのでどれを最初に祭るのか。。。
でも先生がおっしゃっていたのは、仏像が無くても自分の心の中にある仏様をそのまま目の前に映してそれを拝めばよいと。
その言葉の意味を身をもって体験したような気がします。

