仏様との会話っていろいろなパターンがあるみたいです。
私は、人と人との「会話」のような、
「○○はこれで合っていますか?」→「はい。そうですね」
「××っていうのはどんなものなのでしょうか?」→「▽▽みたいなものです」
みたいに、キャッチボールが成り立つものだと思っていました。
だから、問いかければ答えを下さると思っていたのです。
もし答えが見えなければ、それは見えない自分のアンテナが不調なのだろうと思っていました。
アンテナの向きだったり、強さだったり、その時々でいろいろでしょうが。
先生と今日はお話しするチャンスがあり、お伺いすることができました。
仏様と一体化する。。。仏様の魂と会話する。。。。
言葉にとらわれていた私にとって、今回の京都の軍荼利明王とはそういう会話はできてなかったと思います。
必死に言葉が降りてくるのを仏像の前で待っていました。
お寺など万民が訪ねそこでお参るする仏様と自分自身のご本尊の仏様とは少し会話の方法が違うとのことです。
お寺などの仏像はそこに「いる」だけで人々を救うのですが、自分自身のご本尊は少し違ってくるみたいです。
うまくはいえないのですが、先生にいろいろとお話を伺っていている中で、先生の教えてくださる言葉の中にある『感覚』を少し理解できたような気がしました。あくまでも私のできる範囲の中だけですが。。。
腑に落ちて少し心が動いたのか、意味も無く涙が出そうでした。
今まで、頭の中で会話形式だったものをもう少しイメージというか感覚というか。。。もっと概念的に捉えられるようにしてもっとたくさん仏様と会話できるようになりたいと思います。
私は、人と人との「会話」のような、
「○○はこれで合っていますか?」→「はい。そうですね」
「××っていうのはどんなものなのでしょうか?」→「▽▽みたいなものです」
みたいに、キャッチボールが成り立つものだと思っていました。
だから、問いかければ答えを下さると思っていたのです。
もし答えが見えなければ、それは見えない自分のアンテナが不調なのだろうと思っていました。
アンテナの向きだったり、強さだったり、その時々でいろいろでしょうが。
先生と今日はお話しするチャンスがあり、お伺いすることができました。
仏様と一体化する。。。仏様の魂と会話する。。。。
言葉にとらわれていた私にとって、今回の京都の軍荼利明王とはそういう会話はできてなかったと思います。
必死に言葉が降りてくるのを仏像の前で待っていました。
お寺など万民が訪ねそこでお参るする仏様と自分自身のご本尊の仏様とは少し会話の方法が違うとのことです。
お寺などの仏像はそこに「いる」だけで人々を救うのですが、自分自身のご本尊は少し違ってくるみたいです。
うまくはいえないのですが、先生にいろいろとお話を伺っていている中で、先生の教えてくださる言葉の中にある『感覚』を少し理解できたような気がしました。あくまでも私のできる範囲の中だけですが。。。
腑に落ちて少し心が動いたのか、意味も無く涙が出そうでした。
今まで、頭の中で会話形式だったものをもう少しイメージというか感覚というか。。。もっと概念的に捉えられるようにしてもっとたくさん仏様と会話できるようになりたいと思います。

