ちょっと面白半分で「オーラが見えるようになる本」みたいなものを読んでいる。
目の訓練の仕方とか、いろいろとあるのだけれども。
そのなかで「お?!」っと思ったことが。
その本の中で「オーラが見えるようになったとしてもそれで終わりではなく、『自分が見たいときに見える』状態で初めて見えるといえるのだ」みたいな趣旨のことが書いてあった。
オーラは相手の心の状態や体の状態がまるっと見えてしまうもの。
見えるように訓練しても、頼まれてもいない相手のことを見てしまうのは人の家の中を黙ってのぞいたり、人のかばんの中を黙って引っ掻き回すのとおんなじ。
頼まれた相手、見ても良い相手だけ見えるようにすることが一番大事なのだ。
被りもそうだ。
なんとなく、被りで具合が悪くなるのは被りの原因を持っているヒトだったり場所だったり、
その波動のせいだから自分は被害者だと思っていた。(害を被ってるって字もそうだしね。)
昨日、会社に行く途中、満員電車の中である人が隣に来ただけで、ミゾオチにパンチ食らったみたいになって電車に乗っていられなくなった。
遅刻はしちゃうし散々だぁ・・・もっと本当に被らないように対策採らなきゃなんて思っていた。
だけど、ふと考えてみるとそのヒトは私に対して何をやったわけでもない。
たまたま隣に立っただけ。
それなのに加害者扱いはひどいかも。
今までは自分が被って辛いからどうにかしなきゃだったけど、逆に私が自分が知らないうちに加害者扱いされてたら・・・・なんだかちょっとやな感じだ。
一番辛いのは本人自身なわけだし、ね。
かぶりの対策としてどんなに「辛い感情」「苦しい気持ち」「重たいもの」等々自体への心理的な拒否感をなくせば受け入れられるし辛くならないと思っていたのだけど、受け入れること自体頼まれてもいない限りやっちゃいけないこと。それこそ大きなお世話だ。
それを肝に銘じてちょっと毎日を気をつけてみようと思う。
目の訓練の仕方とか、いろいろとあるのだけれども。
そのなかで「お?!」っと思ったことが。
その本の中で「オーラが見えるようになったとしてもそれで終わりではなく、『自分が見たいときに見える』状態で初めて見えるといえるのだ」みたいな趣旨のことが書いてあった。
オーラは相手の心の状態や体の状態がまるっと見えてしまうもの。
見えるように訓練しても、頼まれてもいない相手のことを見てしまうのは人の家の中を黙ってのぞいたり、人のかばんの中を黙って引っ掻き回すのとおんなじ。
頼まれた相手、見ても良い相手だけ見えるようにすることが一番大事なのだ。
被りもそうだ。
なんとなく、被りで具合が悪くなるのは被りの原因を持っているヒトだったり場所だったり、
その波動のせいだから自分は被害者だと思っていた。(害を被ってるって字もそうだしね。)
昨日、会社に行く途中、満員電車の中である人が隣に来ただけで、ミゾオチにパンチ食らったみたいになって電車に乗っていられなくなった。
遅刻はしちゃうし散々だぁ・・・もっと本当に被らないように対策採らなきゃなんて思っていた。
だけど、ふと考えてみるとそのヒトは私に対して何をやったわけでもない。
たまたま隣に立っただけ。
それなのに加害者扱いはひどいかも。
今までは自分が被って辛いからどうにかしなきゃだったけど、逆に私が自分が知らないうちに加害者扱いされてたら・・・・なんだかちょっとやな感じだ。
一番辛いのは本人自身なわけだし、ね。
かぶりの対策としてどんなに「辛い感情」「苦しい気持ち」「重たいもの」等々自体への心理的な拒否感をなくせば受け入れられるし辛くならないと思っていたのだけど、受け入れること自体頼まれてもいない限りやっちゃいけないこと。それこそ大きなお世話だ。
それを肝に銘じてちょっと毎日を気をつけてみようと思う。

