仏教聖典をみていると、いつも「二枚舌は使うな」って出てくる。
確かにそうだと思う。
だいたい、二枚舌使う人間は信用できないしね。
周りの評価と自分で考えてることが本当にずれている場合はどうしたらいいんだろう・・・
たとえば。
私はどうしても許せないと思っていても、
相手は頼ってきている場合。
打合せの際にもまずは聴いてもらわなければならないから、
相手に合わせた言葉を選んでしまう。
心の中では煮えたぎってても。
それは、ある意味必要なことだと思ってた。
うーん。方便のうちかな。。。
だけど・・・
相手に合わせているのではなく、「相手に嫌われないために言っている」のでは???
と思う瞬間がある。
いわゆる八方美人だ。
そうとなるとこれって完全な二枚舌。
自分の心を鑑みたときに
「なるべく摩擦をおこさないように」
「なるべくきらわれないように」
「なるべく穏便に・・・」
そんな気持ちがないかというと、これこそ本当にうそになる。
そんな自分が本当に情けない・・・というかいやだ。
端から見ていると二重人格、八方美人、二枚舌・・・そんな風に映るだろう。
周りの人がそう見たところで、自分で納得できていればどうでもいいのだけれども、
自分で自分を見る目がそういっている。
じゃあどうしたらよかったのか、今後どうしたらよいのか。
それもさっぱりわからないけれども、
自分を恥じないような行動をしたい・・・
確かにそうだと思う。
だいたい、二枚舌使う人間は信用できないしね。
周りの評価と自分で考えてることが本当にずれている場合はどうしたらいいんだろう・・・
たとえば。
私はどうしても許せないと思っていても、
相手は頼ってきている場合。
打合せの際にもまずは聴いてもらわなければならないから、
相手に合わせた言葉を選んでしまう。
心の中では煮えたぎってても。
それは、ある意味必要なことだと思ってた。
うーん。方便のうちかな。。。
だけど・・・
相手に合わせているのではなく、「相手に嫌われないために言っている」のでは???
と思う瞬間がある。
いわゆる八方美人だ。
そうとなるとこれって完全な二枚舌。
自分の心を鑑みたときに
「なるべく摩擦をおこさないように」
「なるべくきらわれないように」
「なるべく穏便に・・・」
そんな気持ちがないかというと、これこそ本当にうそになる。
そんな自分が本当に情けない・・・というかいやだ。
端から見ていると二重人格、八方美人、二枚舌・・・そんな風に映るだろう。
周りの人がそう見たところで、自分で納得できていればどうでもいいのだけれども、
自分で自分を見る目がそういっている。
じゃあどうしたらよかったのか、今後どうしたらよいのか。
それもさっぱりわからないけれども、
自分を恥じないような行動をしたい・・・

