日々のつぶやき。。。。。

 ちょっと感じたこと、考えたことを整理するためにも書いてみたいと思います。 思ったまま、感じたままをそのまんま。。。
 

日々のつぶやき。。。。。

 ちょっと感じたこと、考えたことを整理するためにも書いてみたいと思います。 思ったまま、感じたままをそのまんま。。。
 


2008/09«2008/10 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 »2008/11
     
勤行ってやらないと気持ちが悪いのだけれど、やるまでがなんだか腰が重い。
楽しんでできるようになるのがベストなんだろうけど。
やっぱりきちんとにやりたい、そうしようと思うとどこかそこまでに自分を持っていくのがちょっと億劫だったりする。
祭壇に座ってしまえば腰が重かったことなんてふっとんでしまうのだけれど、
まだまだだなぁ。。。。と思う。


今日はお地蔵さんの行の意識を変えてやってみた。
ちょっとまだ具体的ではなかったけれども、あせらず、ちゃんと実際に面と向かって会えるようにがんばろうと思う。



それ以外ではなんだかうちのご先祖様(今の家のほう)が騒がしかった。
あんなに出てきたのは最近ないくらい。
最近勤行中は暗くしてろうそくの炎で明かりを取っているのだけれど、
ろうそくの炎が揺れすぎてちょっとお経が読みにくかった。
部屋も結構鳴ってたし。
なにかあるのかしら。。。。と思い浮かべてみてたけど、あんまりぴんとこない。
まぁ意識を変えて勤行したから見物にでもきたのかしらん。

本当の意味で正しく護身法を着るということ、今までわかっていなかったと思う。
正しく護身法ができていると、仏様とのコンタクトがとりやすくなる!
感覚がものすごくあがる気がする。
なんとなく、目上である仏様に失礼に当たらないように護身法をきるのかと勝手に思っていたのだけれども、そうじゃない。。。。?
コンタクトとりやすくするために着るんじゃないかしらん。。。。?
自分自身、とても快適にいられるし。
今まで護身法をきって感覚があがるって伺うことがあったけれども、
こういうことなんだなぁ。。。って思った。




     
むかし、一時期ハマッて全集を読んでいた時期があった。

なぜだかわからないが突然ふと「そういえば、よく読んでいたよなぁ。。」と思い出したのだけれど、あれだけ読んでいたのに、どんな気持ちで読んでいたのか、どうしてはまったのか、なんだか思い出せなくなっている。

どんなんだったけ。。。。と思って本棚にある本を手にしそうに一瞬なったけど、今読んでいる本をちゃんと読んでいきたいから思いとどまった。



今の本、読むのが終わったら、またちょっと目を通してみようかな。




     
自分の身を守ろうとして「本当に信用できるのだろうか?」と相手を疑ったりするってこと、たまに耳にしたり目にしたりする。

だけれども、それで本当に自分の身は守れる?

人を疑うって行為自体、その人自身も実は傷つけている。
単純な理由としてはやっぱりそういう目で周りを見ることってとってもストレスだろうし。

究極、周りを信用できようができまいが、自分がどうするか決まっていればそれでいいんじゃないかと思う。
「自分はこう生きる!」
そういう信念さえあればいいのでは・・・?
相手がどうしようと、自分の芯さえ揺らがなければあまり気になることでもないだろうし。


ただ、仕事の世界ではそうもいっていられないし、裏切られることで実質的損失を被ることって多々あるから気をつけなければならない。
どういう人なのか見極め、どう付き合えばよいのか、信用に足るのかどうなのか。。。
そういうことをきっちりと判断しなければならない。


複数の顔を持つということではなく、状況にあわせて判断結果を変えるという意味で、ビジネス的感覚と人としての感覚って共存することができるはず。
ダブルスタンダートではなくて、状況に合わせて対応を変えるだけのこと。



全く疑うことを放棄するのは単純なおばかさんだと思うけれども、物事に対して疑い信用しないこと=賢いことではない。
結局は自分自身の問題に帰着する気がする。





     
私はバイオリニストの中で一番オイストラフが好きだ。
あのバイオリンの音色は、本当に独特だしラジオなどで流れていても一発でわかる。
子供のころから聞いていたレコード(古!)のバイオリンソナタがオイストラフだったせいか、
どうもああいう感じじゃないといやだ。

とても太くて丸くて叙情的。叙情的というよりとても熱情、激しさに近い。
そして甘い。

結構、激しいバイオリンってきーきーヒステリックに聞こえたりするんだけれども、
そういう激しさじゃない。

もっともっと深いところの激しさ。そして哀しさ。



バイオリンを大人になってからちょっと習ってみたが、バイオリンを味わうという意味では
やっぱり演奏するよりも聴いているほうが好きだ。
だって、自分の音痴な音に、耳が壊れそうなんだもん。



久しぶりに聴いてみたけれどもやっぱりいいなぁ。。。。



     
昨日は勉強会。
帰ってきてから夕飯を食べた後、寝てしまった。。。。 
あ。でもちゃんと勤行はやりました!



どんなことでも必ず、準備って必要だ。

「あなたの天職は何?」なんて転職関係のサイトなどで目にすることはあるけれど、天職にめぐり合うためにはそれ相応の努力をしていなければ始まらない。
天職なんてそんな大きなくくりじゃなくても、会社で言うところの課長だの部長だの、何がしかの仕事でも全部言えること。
逆に準備のないやつなんかに課長職与える経営者はどこ探したっていない。
ちゃんと仕事をして、結果を出して、それを評価するからこそ与えられるのであってそういうものは自分で手にしていかなきゃ始まらないし、学校から出たばっかりの新人に「今日からあなた、部長やってください」ってさせたって無理でしょ?
準備もなく始まったらそれはしんどいだけだし、多分手も足もでないだろう。

そういう意味で、私は私の準備を自分のペースだけれども進めているつもりだ。
その準備していること自体も。。。。とっても楽しかったりする。
結果、それがどこからどういう評価になるのかわからないけれども、いつかは必ず結果を出すし、そこから新たなスタートを切るっていう覚悟。。。。は変わらない。

どこからか何かが降ってくるとか、何の努力もしていないのにそういうことはありえない。
振ってくるには振ってくるための理由がある。

だから、あせらず、自分の道を楽しんで歩いていこうと思う。




     
二週間前に連絡をもらっていたのだけれど、やっと今日とりに行くことができた。
今回もまたまた房の色変更。

イメージしていたのとはちょっとちがっているのだけれども、
私はこの青色は好きだ。
まぁ赤いメノウに合っているかは。。。わからないけれど。
トリコロールみたいでいいんじゃないかなぁとも思う。

出来上がったってきたお数珠で早速勤行してみた。
昨日まで使っていたものとは違って珠が小さいからちょっと数えにくかったりもするのだけれど
お数珠のアンテナ機能はばっちり。
やっぱり、なれたお数珠のほうがキャッチしやすい。
それに、新しく中の紐も付け替えてもらったけれども
がちがちに硬くなってしまったわけではなく、とっても扱いやすい


久しぶりに自分のお数珠を見ると、「あぁ。。。よごれちゃってるなぁ。。。」って思う。
それは預けたからとかそういうことではなく、私の中の汚いものが移っているというか、
被りとかそういうレベルじゃなくて私の中にある汚れ。
穢れ?因縁?
よくわからないがそういうものが染みているんだなぁ。。。と思う。

きっとこれからずっと勤行していくことでこういうものを一つ一つ解消していければいいな。



     
昨日今日と夜はものすごく眠くて勤行するのがやっと。。。。
まぁそういう体調のときもあるもんな。


ご飯食べて勤行して。。。。。気がつくとこんな時間に。


あちゃーー。。。。。


     
明日、前の家が他人のものになる。
これでもう心配しないで済むと思うと同時にちびっとだけ寂しい気もしなくもない。

だけれども、前の家だったらきっと動けなくなっているだろうと思うような体調でもちゃきちゃきと動いて片付けたりしているのに気がつくと、これでよかった!と思う。

やっぱり住む場所は大事だぁ。。。。。


     
さっちゃんは食欲出てきたので、病院は控えて様子を見ることに。
病院いくと緊張とショックでまた食欲なくなる可能性もあるし。





私は自分でたまに突然”殻”に入るときがある。
大分最近は改善されているような気もするが、自分でも何がきっかけなのか、どうしてなのか、いまいち把握し切れていない。
ただ、ひとついえるのはやはりどこかに恐怖心があるからだと思う。
何が怖いのか。。。それもよくよく考えると、結局は自分のことがどう見られるのか、否定されることがあるのではという恐怖に近い。
だから、”殻”に入り心にガードをかける。


心を開くとはどういうことなんだろう・・・
ぱかっと開いているときもあれば、鋼鉄の扉がぎっちりとしまっていることもある私にとって、鋼鉄の扉をコントロールすることはあまり容易いことではない。
だからこそ、どうすれば?
それを思っていたときにやはり答えとして出てきたのは「相手を好きになる」ということ。
まぁ、あたりまえっちゃあたりまえのことだけれど。

殻に入るのは何がしかの恐怖を感じるということだとすると、
人に対してそれを感じるのは、畏怖のときもあるけれども、それ以外の場合は信頼できないという結果だ。
そういう気持ちは、人間誰しもいわゆる霊感があるなしに関わらず相手は感じるものだ。
そのため相手も心を閉ざし、人間関係が悪循環に落ちていく。。。
よくあるパターン。


でも自分を守るためのはずの殻は単なる幻想で、全く無意味のものだと気がつくとそういうことをしていることが馬鹿らしくなってくる。
相手を好きになって信頼し、相手をまっすぐ見ることで殻から出て、心を開くことができる気がする。



その結果相手が心を開いてくれようがくれまいが関係ない。
それはその人の自由だから。


心を開いている「私」はその分自分自身でいられるのだからそれで充分。


     
土日で全日本空手道選手権をみにいっていたのだが、なぜかものすごく疲れた。。。
昨日は勤行やるのがぎりぎりで、もう日記は書かない!と思って寝てしまった。


ちょっとさっちゃんの調子が悪い。
昨日から全く何も食べてないし、今日も全く食べない。。。。
昨日はえさを変えたから?そのせいもあるだろう。。。と思っていたが
今までころっとえさを変えても全然気にせず食べていて、前にも良く食べていたものだった。
いろいろな種類のえさが入っているアソートパックだから、昨日のえさが気に入らなくても今日のは食べるかなぁ。。。なんてちょっと思ってた。
朝食べない分、夜食べるかと思いきやにおいをかいだだけで終了。
おなかも壊したようだし、ちょっと心配。
考えてみるとここ二三日私にくっついて離れないで行く場所行く場所についてくる。
座るとひざの上に必ず乗って来る。
何でくっついてくるのか。。。。寒いから暖とってるのかな?なんてのんきに考えていたので気づくのが遅くなってしまった。。。。
明日、ちょっと病院に連れて行こうと思う。


明日まで、なんとかがんばってね!さっちゃん。
病院いったらきっと楽になるからね。



     
感じるということはそういうことなんだと思うけれど、今までの私の「理解する」の質を変えなければいけない段階にきていると思うことが最近特に多い。

どうしても、今まで自分がやってきたように「考えて」、「消化」し、「理解」しようとしてしまうが、最近の周りの話題や今読んでいる本なんかはそんな私の考えられることなどはるかに超えているから「????????!!!!!」となってしまう。

字面を追っていたり、話を聞いているだけで頭の中がパニック。
ちゃんと日本語になっているのに全くわからない。
日本語を話しているのに全く自分の知らない外国に放り出されたような感じになるからパニックというか漠然と不安になるのかも。
ただ、どこか普段自分が使っている脳ミソ細胞とは全く違う場所で腑に落ちていたりわかるような気のする部分が存在することも事実。
でもとても慣れていない感覚なので、今の本を読んでいるのは結構きつかったりする。。。

今までどんなことでも自分の思考の範疇という狭い枠の中で理解した気になっていたんだなぁ。。。。と思う。


でもきっと全く違うその場所で本当に理解をするためにはこうやって自分の中を見つめていくだけでなく、もっと外を見回し、積極的に関わっていくことが必要なんだと思う。
自分の殻って私にとってはとても居心地のいい場所なんだけれども、そこを出なきゃ次に進めないんだろな。











なーんて書いてるけど、今日はボケボケの一日だった。

    あうあうあ〜><





     
昨日のは自分の魂がおおきくなっていたらしい。
特別なことではないとのこと。

もっともっと大きくして、地球の上に座るようにしてみたらと
先生に伺ったので、ちょっとやってみた。
勤行の後にちょっとだけ瞑想。

最初の出だしは少し難かったけどその後は簡単。
上(?)を見上げて星を見てみた。
結構、これって心地いい。


その後、目を開けてみるとなんだか戻りきれてなくて
ちょっと変な感じがしたけど、もう一度自分に戻ってから目を開けると大丈夫だった。

もどってきたらなんだかちょっとさっぱりした気がする。


     
今日のご真言の勤行中、すごく不思議な感覚だった。

なんだかうわーーーーっと自分がでっかくなる(?)ような、今まで感じたことない感覚。
うまくいえないけどちょっと一瞬だけ恐怖を感じるような不思議な感覚。

怖いといっても何か霊が来たとかそういうのではなくて、
一番近というと自分が自分の体から抜け出ちゃいそうだと思うときに感じる怖さ・・・・と言うほうがいいのか。
平衡感覚がなくなるというか。
でも幽体離脱とみたいな感覚とも違う。

結縁灌頂のときに感じた自分の向きがわからないというか上下左右の感覚が
なくなるのともちょっと違っていた感じがした。座っていたから?
でもそれとも感触が違う気がする。

その後ご真言を言い終わってからしばらく瞑想してみたが結局その感覚を追って確かめることができなかった。
ご真言が終わって遠のいたような気がする。


明日も同じ感覚を味わえるかしらん?
なんだったのか、突き止めたいなぁ。。




     
仕事でいろいろな場所を訪問することがあるけど
昔だったらもうへとへとになっていそうな場所でも案外平気になっている気がする。

電車に乗っていてもにおいやその他いろいろなものが気になって気分がすぐに悪くなっていたけど
それも。。。。まぁそんなにない。
。。。。。といっても通勤時間帯にあんまり電車乗ってないからか。


今までの自分を考えると、どんな場所に行っても知らないで普通の顔して生きてたから
それ考えるともとにもどったって感覚のほうが近いかも。
まぁ、普通の顔しながらとはいえ、週末にはどうにもこうにも動けなくなってたんだけど。。。

週末も快適に過ごせてるのでそういう意味では進化したかな。





いろいろと回っていく仕事だからあまり場所に影響を受けないでいたいと思う。




     
勤行中はとにかく感じることをメインにやっている。(ってしつこいか)
今日は特にお経の「音」から感じる感覚を特に注意してみた。

いろいろな仏様でも感覚が違う。。。。。



最後に変な人が見えた。

口ひげと顔の周りのひげを伸ばしていて、髪の毛を上のほうでお団子にしているおじさん。。。。。
聞いてみるとどうも家族方の先祖みたいな。
ただ、眉毛があんまり濃くない。。。。。


家族に話してみると、すぐに「中国の人でしょ?」との答え。


。。。。うん。確かに。
結構当時貴重だったんじゃないかなぁ。。。と思われる絹織物が見えたりして。
(よくわからんけど)


もしかしたら、ひょっとして、大陸からわたってきた先祖かしら??

そうだったら「変な人」っていってごめんなさい。。。




     
家族と一緒に遠出をしてきた。
といってもドライブでちょっと箱根まで。

なかなか一緒にいる時間がないから丸々一日一緒にすごせるのは本当に貴重!

昼ごろからもぞもぞと動き出して、帰ってきたのはかなり夜遅くになってしまったけれど、
疲れよりもやっぱり楽しかった!!ていうのが大きい。



こういう日って必要だなぁ。。。と改めて実感した。

     
今日はほんとに寝まくった!
普通、昼間寝すぎると余計疲れたりとかあるんだろうけれど。。。
転寝じゃなく、爆睡!!
まったく目をさまさずに寝まくった。

疲れがたまってるわけじゃないと思うんだけど。。。。。


とにかく必要最低限のことだけやってた。



まだかぜひいてるからなのかなぁ。。?



     
最近のテーマなんだけれども頭で考えずに全身使って感覚で感じながらやることを重きをおいてやっている。
今日はこの仏様はこんな感じ。。。この仏様は。。。なんていう固定観念を全部捨ててみて、
とりあえず自分の全身の五感(?)総動員で感じようとしてみた。
いろんな感覚があったけれども、だんだんとやっぱりものすごく暑くなってきた。

その中でお地蔵様の勤行をやっているのだけれども、それが終わって次のものを詠みはじめていると
ものすごい眠気が。。。。。
本当に途中で切り上げてそのまま眠りたいくらい。
でもそういうときこそきちっとやらなきゃ。。。と思ってなんとか気力で終わった。
だから最後のほうは感じるというよりも眠気との戦い^^;


終わってみた今はさほど眠くもないし(時間が時間だから眠いけど)、こうやって日記も書いていられる。

なんだか、、、、へんなかんじ!!!







     
来週の月曜日は家族も休みなのでとってもうれしいです!


早く風邪をどうにかしなければ…






     
ふと自分が殻に閉じこもってすべてをやろうとしてたんじゃないかって思った。


そもそもお地蔵さんの行してるくせに、お地蔵さんになにか相談したりとか何か聞こうとかなにか力を貸してほしいなんて一度も思ったことなかった。
なにかもし自分に課題があったら自力でどうにかするもんだって。
まぁある意味自力って言うのはそれはそれで間違ってないと思うんだけど、
ただ、人間には限界がある。

人間には限界はないんだけど、人間には限界がある。
なんだか訳わからない文章になってるが。。。。



人間がもし信念を持ったりなにかに確信を持ちながらできたらその能力は無限だ。
ありとあらゆることが可能になる。
。。。っていう事に関しては人間には限界がない。


他とのかかわりをたって己のみだけで何かを成し遂げようとするには限界がある。
自分の中で見える範囲は限られている。
特に価値観が狭かったり経験が浅かったりその他もろもろの理由でその範囲はどんどん狭まる。
なのに360度全方向、上下左右、時間なども含めて観察し、理解することなんてできる?
想像することはできても観察し、それを事実と受け止め理解するには。。。大変だ。
井の中の蛙が億万が一大海を夢見ることはあってもその実態を理解することはないのとおんなじ。


私は昔自分自身の内観を究めて極めて窮めればそういうことが理解できると信じてた。
自分の中の奥底、そのまた奥の奥の。・・・・・・・・・ずっとおくには人類共通の何かにぶちあたるはずだって。
だから外部からの情報から理解することもできるだろうけれども、自分自身の中を見つめれば結局外部につながるし、すべてにつながるって思ってた。




それはそれである意味間違ってないと今でも思ってる。




きっとその方法で何十回とか何百回とか、何万回とか生まれ変わって内観をずーーーーっと続けてたらたどり着けるかも。。??

だけれども。それでいいのか。。。。。。。?


結局今まで(前世も含めて)の癖として自分の中に閉じこもってそこで解決しようとしてる気がする。





なーんでそんなことを思ったかと考えてみると、
昨日のご縁日のときの霊視のルートの話があったのを思い出した。
神仏からのルート。。。。。。
私、いろいろと視ようとするとき、神仏なんて全く意識したことがなかったのだけれども、地蔵菩薩から聞こうとする、地蔵菩薩の目から見ようとするとものすごくはっきりと情報が見えた気がした。

私、人間である自分の目で何とか見ようとしてたからだめだったんじゃないかしら?(前世から)


仏に何か聞くとか、力を借りようとするとか、人がしていることを聞いたり視たりするにはなんとも思わなかったけれども、自分がそうすることを自分で避けていたと思う。
何かに頼ったりするのはいけないことだと思ってたから。
でも頼るのではなく依存するのでもなくして、仏に聞くとか、力を借りるってことがあることをわかってなかった。

自分が見える範囲の箱庭の中に篭って、頭でっかちになってる感じ。
そこから一歩外にでなきゃいけないんじゃないかな。。。。



なんて思ってみたりした一日だった。



一気に書いてみたから訳わかんない文章になっちゃったけど、まぁいいや。
日々のつぶやきってことで、残しとこう。。。。。

     
今日は夜になって突然熱がでてきてしまった。。。。

ずっと最近鼻がぐずぐずしてたけど、これってアレルギーじゃなく風邪だったのかな??
なーんていまさら思ってしまった。

確かに今日雨降ってるのになにかの花粉飛んでることはないだろうし。

居間でちょっと横になっていたら気がつくとネコ達2匹ともがくっついて寝てくれていた。
普段1匹がそばにいることあっても2匹ともくっついてることって少ない。
ゆたんぽならぬ、ネコたんぽのおかげであったかくてほくほくだった。



ありゃま。
ありがとう。。。。。ふくさち。

     
今日はたまたま偶然、「人」のさまざまな側面を見る機会があった。

十住心論を読んでいると、なんとなく自分のいる世界そのものが地獄かもしれないなぁ。。なんて思っていた矢先のこと。
以前先生もここが地獄だっておっしゃってたっけ。

人は生きながらにして仏にもなるし、餓鬼にもなるし、畜生にもなる。
仏になることは本当に難しいことだけれども、餓鬼や畜生になるのはなんと簡単なことだろう。。。。
本能の赴くままに生きているとすぐにでもなれる気がする。
ただ、仏になりたい、楽になりたい、そう思うのも人の本能だと思う。
より高みに、より大きく、より深く。。。。現状よりも向上したい。
双方に引っ張るその本能のバランスをとりながら、何とか生活してるのかも。

でも得てしてそのバランスは崩れやすい。

だからこそ、人を苦しめるような餓鬼や畜生に成り果てる瞬間がある。
「思い」だけでそうなれちゃう。
これって他人事じゃない。
苦しめられることもあるだろうし。
苦しめる側になるのも本当に簡単なこと。


でもそれと同じく位に餓鬼や畜生にならないことも簡単なのかな?
それも結局思いの強さによるだけだから、ある意味簡単なのかも。


だからといって、仏になるのは「思い」だけじゃだめなんだよなぁ。。きっと。
「仏になりたーい」っていってもなれるもんじゃないし。


うーむ。
難しい。。。。。









     
今読んでいる十住心論、ほんとうにむずかしい。

でも第一章、これで3度通読しているが、なんども読むと読んだ文だけ理解がちょっとづつでも進む気がする。
あとのこり9章あるけれども、なんども読み直して意味をつかむようにしようと思う。
これは頭で理論を理解するよりも感覚的に染み入ってくるまで繰り返し読んだほうがいいみたい。
実際、読むたびに意味が頭の中に入ってくるようで面白い。

あれがこうだから、これがこう。。。。なんて考えても所詮浅知恵。

もっと深いものを理解するには論理なんて一度忘れてしまわないと無理なのかもしれないなぁ。。。

昔々の私の失敗原因のひとつはそこにもあるかもしれないと思う。。。。。








     
昨日から家族が風邪をひいてしまっている。
だいぶ辛そうだが何とか土日の仕事を終えていた。

私のほうは秋の花粉が飛んでいるらしく、ずっと鼻の調子が悪い。
あんまり意識しないようにしていたんだけれども、さすがに昨日の声楽のレッスンでは意識せざるを得なかった。。。やっぱり、鼻づまりしながら歌いにくいからなぁ。。。。
ついでにその声楽の先生もアレルギーなのでやっぱり最近鼻がおかしいっていってたし。

アレルギーがでるとなんとなく風邪のようなだるさとかそういうのも出てきてしまう。
。。。。。それとも私も風邪なのかな?
うーむ。早く寝て、しっかりしなければ。。。。。
高野山行ったりしたことが風邪の原因になってたら悔しいし。。ね。






     
10/2にいってきた、結縁灌頂。
もともとなぜ行こうと思ったかといえば、理趣経に関係のある金剛界の仏様とご縁を結ぶから。
結縁灌頂自体は今の私にとって本当に必要だったかというとちょっとギモンだ。

だからあんまり積極的に時間をつくっていくというよりも、もしもいけそうだったら行こう、そんな風に考えていた。
ただなんとなく今後の行のことも考えるといきたいなぁ。。。という程度。でも時間が空いた、行こう!と決めたとたん、ぱたぱたと周りのほうも整ってきた。

私のラッキーナンバーは5と2だ。
なにかと数字に絡むものがでてくるとそれによって幸運、不運を占ってみたりしてる。
たとえば、夜行バスの座席番号。切符の番号。待ち行列のチケットの番号。。。。等々。
これらがどういうわけか、すべて5が絡む数字が出てきていたので、なんとなく、今回の高野山行きは悪いことじゃないんじゃないかなぁ。。。と思った。
実際、思ったとおりにことが運んでるし。

行く道すがら、やっぱりいろいろなことが頭をよぎった。
でもその一つ一つはとっても貴重だ。
たとえば、夜行バスの中、いろいろな人に話しかけられたり。
でもそうやって会話していく中で、なんとなく、人と会話しないとだめなんだ。。。。って思った。
自分の中だけで完結している行なんて、所詮自分の中から出られない。周りとかかわってその世界を広げていくことで初めて自分の中の世界も広げることができるし、そうしないと本来の行の意味をなさないんじゃないかしらん。
今年の初め、比叡山の寒行にいったとき話しかけられてしまってお友達になってしまうことが苦痛だった。だって遊びに行ったり友達つくりに行ったわけじゃないのにって思った。
であれば、周りの人間と全くかかわらず、交流せず、自分の世界の中だけに閉じて行をしてたらどうだろう。
それはそれで楽だったかもしれないけれども、結局自分という井の中の蛙でしかなくなってしまう。

なんとなく、それがふっと納得できたというか腑に落ちたというか。。。。
頭でわかるんではなく、心でわかった感じがした。
だから、おしゃべりしたりすることをなんだか楽しむことができた。



あとは情報が自分の中で混乱し始めていることを自覚。
私ってちょっと頭がおかしくなっちゃった?って一瞬不安にもなったけれども、ほんの一瞬だけ。
なにがもとで混乱しているのかはわからなかったけれども、きっといろいろな情報がキャッチできるのは悪いことじゃないんじゃない?と勝手に思ってた。みんなの話を聞いているとこんなもんなのかしら?やっと私も少しは感覚があがってきたのかしら?なんてうぬぼれたりして。
でも帰ってきて当日先生にお話して、本などで得た情報が混乱して頭の中で錯綜していることが原因で、これ自体あんまり良くないことだってわかった。
やっぱりみんな(みんなってだれってわけじゃないけど)というかほかの人はとてもわかるのに、私自身の感覚がそれほど鋭くない、わからないということで焦りとか劣等感とかが原因だと思う。
ま、要するに「もっともっと!!!」と思って自分でモウソウ状態をつくちゃったんだろな。

実際の結縁灌頂は退蔵界のときと違ってちゃんと集中できたので結構面白い経験だったと思う。なんだか右も左も上も下もわからないような感覚になってみたりして。
洒水加持をしてもらったときはやっぱり胎蔵界のときと同じくやっぱり心に来るものがあった。
被りがとれたり自分がお清めというか、きれいになっている感覚があったし、そのせいか前回と一緒でなんだか知らないけど涙が出てきた。五鈷杵を手に持たされながらそれが仏の智慧をあらわし、それをを手荷物ことにより授けられるのだと聞いたのだけれども、なんとなく、その智慧について、手から伝わってきた気がした。あまりにも膨大であまりにも。。。。。。。。表現できないものが五鈷杵を通じてつたわってくるというか。法具たった一つなんだけれどそれを入り口としてとんでもない膨大な情報量、見たこともない量のものがつながっているというか。うまくいえないが、今まで法具の存在意義というかそういうものって感じたことあんまりなかったのだけれども、だから五鈷杵があるのね。。。。ってそんなかんじ。
ただ、情報がぐちょぐちょになっている状態で感じただけだし、それすらもぐちょぐちょの一部だったような気もするから、本当のところはどういうもんなのか。。。。わからない。

奥の院では空海さんが本当にお坊さんだったんだってことを感じ取った。
結縁灌頂は目隠しをされながらお坊さんに導かれて堂内を歩くのだけれども、そうやって手を引いてくださったお坊さん方・・・目隠しをしていたから実際どういう人が手を引いてくれたのかはさっぱり見えていなかったけれども、その何人かの方、、、それぞれ違う人だけれども共通して持っている波動。。。。みたいなものとおなじものを感じた。
ほかにもなんとなく会話というか交流してたと思うが、どういう情報をやりとりしていたのかはいまいち言葉にできない。


でも帰ってきて先生とお話しするとそのアクセス先もいまいち間違っていた。。。。というかわかっていなかったことがわかった。
本来話すべきは空海ではなく、遍照金剛だったみたい。
なんで、じゃぁ魂がもうすでに遍照金剛になっているのに空海と話ができるのかしらん???とちょっと今書いていて疑問が出てきたが、きっと今読んでいる本の理解が進むにつれてわかってくるのかもしれない。





一気に書いてみたが。。。。とりあえず、高野山参りの覚書として。




     
10/2にいってきた、高野山のお話は後ほどちゃんと書こうと思います。
ぜったい書いておかないと私の場合忘れてしまうから。。。。


今、先生にお勧めいただいた十住心論を読もうと取り掛かりました。
た、確かに難しい。。。。。。
これじゃあ読み終わるまで半年かかるかも。。。。。。。

なんてことを書いてみたりしてしょっぱなから旗色悪いですが、
「????」と思ったところを3回5回と読み直しているうちにだんだんなんとなーーーーーく意味がわかるようなわからないような感じ。


ちょっとあきらめないでがんばってみようと思います。




     
やっぱり値段が全然違うので、高速バスで大阪に移動中です。

今日分の行は家をでるまえに済ませました。


朝早くつくからかなり早い時間にかえってこられそう…


こうやって行くこと、お参りしてくることに意味はあまりないかも知れないけど、私にとっては自分がやりたいと思うことが最大の意味。

だから満喫してきまーす




     
イメージでどこかにいこうとすると、自分の体と意識が離れるような感覚があります。
意識だけどこか飛んでってしまって体はそのまま元の場所にいるような。

昨日、夜寝る直前にイメージでまた高野山行って見ようとしました。
高野山にいったかいかないかくらいのときに。。。。

「あおーーーーん!」

うちのしましまねこさっちゃんの「お化けでた!!」の泣き声が。


あり?なんかだれかきたの?!?!と思ってしばらく家の中を意識してみたのですが、特段何にもなさそう。
じゃ、大丈夫か。。。と思ってもう一度高野山へ。。。。。。つい。。。。た。。?とおもったら。

「あおーーーーーん!!」




。。。。。。あれれ??

       私がでてるのわかるのかなぁ。。?


       だけど、お化け扱いなのはなぜ・・・なの????。。。。さっちゃん。




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トモバタラキしながら家族と2匹のネコと2人2匹暮らしをしています。

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