昨日はなんとか感想を書き留めたかったのだけど、あまりに消耗していたのか、
ひとこと書いて、ふっと気がつくと気を失うように寝てしまってた。。。。
今回の瀧行での課題は「水の中から景色をみる」ということだった。
いつも目を開けているつもりだったけど、「みる」という意識を持ってみると
確かに違っていた。
みたときに自分でもよくわからないのだけれども、「先生のおっしゃっていたのはこれだったのね」と勝手に腑に落ちていたので、私の頭がついていけないところで
何かを納得したように思う。
無理に言葉にするとすると。。。。
うまくいえないけれども、この世界そのものが仏と重なっていて、悉有仏性ってことなのかしらん。。。
重なるといっても次元を超えて重なっているけれども、その実態は同じなのかなぁ...
本当に無理に言葉にしている気がするが、
でもものすごく納得した気がする。
瀧行は何度か経験しているから、呼吸の仕方もその中で集中を保ちながら解放するという感覚も何となくだけどわかる。
だからいままでその解放感がたまらなく心地よくて、瀧行と聞けば飛んでいきたい気分だった。
でも今回、もちろんその解放感はあったのだけれども。。。
毎日の勤行の中、日常の生活の中で自分を押しとどめる事が少なくなってきたのかもしれない。
その解放感に対して強烈なあこがれはもう感じなくなってきた。
一度目に入ってから出た後に、そう思っている自分が居て、自分に少し驚いた。
私にとっての瀧行は祓いだったり、解放感の体験だったりしていたので
その意味が変わってきたときに私の中での瀧行の位置づけが変わった気がする。
瀧行で得られる事はすごく多いと思う。
けれども、私自身の今の状態でその行が本当に必要なのかどうか。。。
必要なのだとしたらどのような意識で行う必要があるのか。。。
見直さなければならないと思う。
帰ってから家族にその事を話したら、
なるほど!と思う事をいっていた。
私は以前ご縁があった仏様は明王系だったのだけれども、今は違う仏様だ。
瀧行の行場ではたいてい不動明王がお祭りしてあるが、
そういう意味で目指す方向が変わったので、行も内容が変わって当然なのではないか・・と言っていた。
私が「瀧行に行く」というのを聞くたびにうちの家族はなんとなく???と思っていたらしい。
明王系にご縁のある方が瀧行をするというのは明王系ルートで行を進めるからだ。
菩薩系のご縁の人間が行をする場合には菩薩系ルートがあるのかもしれない。
如来系のご縁の人は如来系ルート。
などというように取る道が違えばルートも違ってくる。
共に最終目標は一緒であっても、それぞれの方法はまた別の事。
今回の瀧行は
「行った!」→「入った!!」→「すっきりした」「こんな事感じた!」ではなく、
なんだかたくさん課題を持ち帰ってきた気がする。。。。
ひとこと書いて、ふっと気がつくと気を失うように寝てしまってた。。。。
今回の瀧行での課題は「水の中から景色をみる」ということだった。
いつも目を開けているつもりだったけど、「みる」という意識を持ってみると
確かに違っていた。
みたときに自分でもよくわからないのだけれども、「先生のおっしゃっていたのはこれだったのね」と勝手に腑に落ちていたので、私の頭がついていけないところで
何かを納得したように思う。
無理に言葉にするとすると。。。。
うまくいえないけれども、この世界そのものが仏と重なっていて、悉有仏性ってことなのかしらん。。。
重なるといっても次元を超えて重なっているけれども、その実態は同じなのかなぁ...
本当に無理に言葉にしている気がするが、
でもものすごく納得した気がする。
瀧行は何度か経験しているから、呼吸の仕方もその中で集中を保ちながら解放するという感覚も何となくだけどわかる。
だからいままでその解放感がたまらなく心地よくて、瀧行と聞けば飛んでいきたい気分だった。
でも今回、もちろんその解放感はあったのだけれども。。。
毎日の勤行の中、日常の生活の中で自分を押しとどめる事が少なくなってきたのかもしれない。
その解放感に対して強烈なあこがれはもう感じなくなってきた。
一度目に入ってから出た後に、そう思っている自分が居て、自分に少し驚いた。
私にとっての瀧行は祓いだったり、解放感の体験だったりしていたので
その意味が変わってきたときに私の中での瀧行の位置づけが変わった気がする。
瀧行で得られる事はすごく多いと思う。
けれども、私自身の今の状態でその行が本当に必要なのかどうか。。。
必要なのだとしたらどのような意識で行う必要があるのか。。。
見直さなければならないと思う。
帰ってから家族にその事を話したら、
なるほど!と思う事をいっていた。
私は以前ご縁があった仏様は明王系だったのだけれども、今は違う仏様だ。
瀧行の行場ではたいてい不動明王がお祭りしてあるが、
そういう意味で目指す方向が変わったので、行も内容が変わって当然なのではないか・・と言っていた。
私が「瀧行に行く」というのを聞くたびにうちの家族はなんとなく???と思っていたらしい。
明王系にご縁のある方が瀧行をするというのは明王系ルートで行を進めるからだ。
菩薩系のご縁の人間が行をする場合には菩薩系ルートがあるのかもしれない。
如来系のご縁の人は如来系ルート。
などというように取る道が違えばルートも違ってくる。
共に最終目標は一緒であっても、それぞれの方法はまた別の事。
今回の瀧行は
「行った!」→「入った!!」→「すっきりした」「こんな事感じた!」ではなく、
なんだかたくさん課題を持ち帰ってきた気がする。。。。

