今日は私に乗っかったのをはずしてもらうため、夜、先生のところに伺った。
そのときにご供養の仕方を見せていただいた。
。。。。。自分の今までやってたのと全然違う。。。。
十住心を読んでいても思ったけれども、人間の頭の中で考えることなんて
本当に高が知れている。
だから、いくら頭で考えたり、気持ちを乗せようとしても、所詮「人間」のものでしかない。
霊は4次元、仏はもっともっと高次元にいるわけだし、そういうものと会話し、伝えていくためには
人間の頭じゃ到底無理だ。
だから、その頭で考えることをやめて心で読み、心で話していくことでやっと通じる。
頭で考えるとは、いわゆる「日本語」で考え、感じるということ。
頭で考えることをやめると、とたんに目の前にある2次元のものが3次元、4次元、もっともっと高次元であることが伝わってくるし、見えてくる。
ご供養も勤行も全く同じだ。
「上に上がってもらおう」
「楽になってもらおう」
そんなつもりで念をこめても、それはやっぱり「日本語」。
感情がそこに乗っていても、結局思考は日本語モードだったりする。
日本語モードを捨てて、というよりも言語モードを捨てることで初めて見えてくる気がする。
なんだか、3Dの絵本と似ている。
どう見てもただの繰り返されたパターンの模様にしか見えないものが、ふっと見方を変えると3次元の物体が浮き出て見えてくる。
ただの模様としてそのまま通り過ぎるのか、3次元の物体をその中に見つけるのか。
ちょっとのコツだけれどもその差はかなり大きい。
そのときにご供養の仕方を見せていただいた。
。。。。。自分の今までやってたのと全然違う。。。。
十住心を読んでいても思ったけれども、人間の頭の中で考えることなんて
本当に高が知れている。
だから、いくら頭で考えたり、気持ちを乗せようとしても、所詮「人間」のものでしかない。
霊は4次元、仏はもっともっと高次元にいるわけだし、そういうものと会話し、伝えていくためには
人間の頭じゃ到底無理だ。
だから、その頭で考えることをやめて心で読み、心で話していくことでやっと通じる。
頭で考えるとは、いわゆる「日本語」で考え、感じるということ。
頭で考えることをやめると、とたんに目の前にある2次元のものが3次元、4次元、もっともっと高次元であることが伝わってくるし、見えてくる。
ご供養も勤行も全く同じだ。
「上に上がってもらおう」
「楽になってもらおう」
そんなつもりで念をこめても、それはやっぱり「日本語」。
感情がそこに乗っていても、結局思考は日本語モードだったりする。
日本語モードを捨てて、というよりも言語モードを捨てることで初めて見えてくる気がする。
なんだか、3Dの絵本と似ている。
どう見てもただの繰り返されたパターンの模様にしか見えないものが、ふっと見方を変えると3次元の物体が浮き出て見えてくる。
ただの模様としてそのまま通り過ぎるのか、3次元の物体をその中に見つけるのか。
ちょっとのコツだけれどもその差はかなり大きい。
コメント
コメント
コメントの投稿
コメントの投稿
トラックバック
トラックバック
http://clearandblue.blog88.fc2.com/tb.php/169-2ce95c19

