なんだか。。。。私ってば暇さえあればお経のこと考えてるのか?!
もし、空になることが自分を消すことでない。。。?
光がどんどん重なると白。。。透明になるように自分の一部を消すんじゃなくて、そこに「ある」だけで置いとくだけでいいのかも!そうしたら光みたいに重なっていって透明にならないかなぁ。。
そこに振り回されなければいいだけかも?!
なーんて朝ブログを読んでいてそんなことを思った。
お経読んでるときに振り回されるんじゃなくて、お経に集中してれば自然と忘れてるのかも。。。。
一時期なぜか若いころ聞いていたヘビメタを聞いたりしてたんだけれども、またこのところ聴いている音楽がクラシックに戻ってる。
オケもあり、バイオリンもあり、ピアノもあり、コンチェルトもあり。。。
やっぱりばらばらだ。
ピアニストもいろいろ聞くけれども今日は久しぶりにルービンシュタインのベートーベンのピアノソナタを聴いてた。
一時期ピアノの発表会で弾くためにいやというほど聴いたもの^^;
聴いても。。。。あんなふうには弾けないけど。。。。><
でも今日久々に聴いていてなんだか自分でピアノを弾いているときのことを思い出した。
暗譜していても譜面見ているときには音符は追っているし、だけれども音だけに集中していてあとはなーんにも考えてない。
ひたすら音、響きだけ。
お金とかその他もろもろの面から結局は電子ピアノしか持てなかったけれども、音、響きを聴いていくためにはやっぱりグランドピアノ、中古でいいからちっちゃくていいから買おうかなぁ。。。と本気で思った時があった。やっぱり電子ピアノには限界があるから。。。。
集中して聴いて弾くにはやっぱり本当の楽器がいいなぁ。。。。なんて。
だけど。。。。。。^^;
しょうがないから先生のところにあるピアノを借りて練習したりしてた。
弾いている自分を思い出すと。。。。ただただ、音だけ。
ほかの事、雑念なんて余地ない。
ひたすら音に集中していた。
あり?あれって、ちょっと空に近い状態になってるんじゃないの。。。?とふと思った。
また、今日は五嶋龍のヴィターリのシャコンヌとオイストラフのシャコンヌを聞き比べてもみた。
もちろん音源もものすごく年月経っているものと最近のもので全然違うし、
同じ曲でも伴奏がピアノとパイプオルガンじゃ全然違うんだけど。。。。
でも、私の印象からすると、五嶋龍はなんとなく。。。。ウィーン少年合唱団のような清らかな響き。
オイストラフは。。。。。。。。うまくいえないけれども、まぁ簡単な言葉で言っちゃえば亀の甲より年の功。
それぞれ本当にプロだし、音を音楽を追求していただろうし、それこそ空の状態で弾いてるんだと思う。
だけれども、人間がその肉体をもって精神をもっている、それゆえにどんなに空の状態であってもその人の生き様だったり魂だったりそういうものがにじみ出ちゃうんだろうなぁ。。。と思う。
でも、空の状態だからこそ、作曲者の意図がちゃんと伝わってくる。
以前、声楽習っている音楽院のピアノの先生の一人がCDデビューした。
その先生の弾いているのを聴くと、ちゃんとどういう曲なのか伝わってきた。
ほかの先生が(同じ曲じゃないけれども)弾いた時には、なんだか曲のイメージのピントがぼやけた感じだった。
空になればなるほど、そういう曲の意味ってちゃんと伝わってくるものなのかもしれない。。。
自分が生きてきた跡、自分の魂の色を消す必要は。。。。ないのかも。
閉じ込める必要もないのかも。
ということで!
今日はお経を音楽として捉えて詠んでみた。
お経の一文字一文字は音符のつもりで。
ただただそれを追ってみた。
結果。。。。。雑念はやっぱり出てこなかった。
代わりに、自分の広がった感覚も、別からのイメージもなーんにもなかった。
ただただ、音に集中しただけ。
でもすっきり。
これでいいのだろうか。。。。。。?
うーむ。やっぱりわからん。
もし、空になることが自分を消すことでない。。。?
光がどんどん重なると白。。。透明になるように自分の一部を消すんじゃなくて、そこに「ある」だけで置いとくだけでいいのかも!そうしたら光みたいに重なっていって透明にならないかなぁ。。
そこに振り回されなければいいだけかも?!
なーんて朝ブログを読んでいてそんなことを思った。
お経読んでるときに振り回されるんじゃなくて、お経に集中してれば自然と忘れてるのかも。。。。
一時期なぜか若いころ聞いていたヘビメタを聞いたりしてたんだけれども、またこのところ聴いている音楽がクラシックに戻ってる。
オケもあり、バイオリンもあり、ピアノもあり、コンチェルトもあり。。。
やっぱりばらばらだ。
ピアニストもいろいろ聞くけれども今日は久しぶりにルービンシュタインのベートーベンのピアノソナタを聴いてた。
一時期ピアノの発表会で弾くためにいやというほど聴いたもの^^;
聴いても。。。。あんなふうには弾けないけど。。。。><
でも今日久々に聴いていてなんだか自分でピアノを弾いているときのことを思い出した。
暗譜していても譜面見ているときには音符は追っているし、だけれども音だけに集中していてあとはなーんにも考えてない。
ひたすら音、響きだけ。
お金とかその他もろもろの面から結局は電子ピアノしか持てなかったけれども、音、響きを聴いていくためにはやっぱりグランドピアノ、中古でいいからちっちゃくていいから買おうかなぁ。。。と本気で思った時があった。やっぱり電子ピアノには限界があるから。。。。
集中して聴いて弾くにはやっぱり本当の楽器がいいなぁ。。。。なんて。
だけど。。。。。。^^;
しょうがないから先生のところにあるピアノを借りて練習したりしてた。
弾いている自分を思い出すと。。。。ただただ、音だけ。
ほかの事、雑念なんて余地ない。
ひたすら音に集中していた。
あり?あれって、ちょっと空に近い状態になってるんじゃないの。。。?とふと思った。
また、今日は五嶋龍のヴィターリのシャコンヌとオイストラフのシャコンヌを聞き比べてもみた。
もちろん音源もものすごく年月経っているものと最近のもので全然違うし、
同じ曲でも伴奏がピアノとパイプオルガンじゃ全然違うんだけど。。。。
でも、私の印象からすると、五嶋龍はなんとなく。。。。ウィーン少年合唱団のような清らかな響き。
オイストラフは。。。。。。。。うまくいえないけれども、まぁ簡単な言葉で言っちゃえば亀の甲より年の功。
それぞれ本当にプロだし、音を音楽を追求していただろうし、それこそ空の状態で弾いてるんだと思う。
だけれども、人間がその肉体をもって精神をもっている、それゆえにどんなに空の状態であってもその人の生き様だったり魂だったりそういうものがにじみ出ちゃうんだろうなぁ。。。と思う。
でも、空の状態だからこそ、作曲者の意図がちゃんと伝わってくる。
以前、声楽習っている音楽院のピアノの先生の一人がCDデビューした。
その先生の弾いているのを聴くと、ちゃんとどういう曲なのか伝わってきた。
ほかの先生が(同じ曲じゃないけれども)弾いた時には、なんだか曲のイメージのピントがぼやけた感じだった。
空になればなるほど、そういう曲の意味ってちゃんと伝わってくるものなのかもしれない。。。
自分が生きてきた跡、自分の魂の色を消す必要は。。。。ないのかも。
閉じ込める必要もないのかも。
ということで!
今日はお経を音楽として捉えて詠んでみた。
お経の一文字一文字は音符のつもりで。
ただただそれを追ってみた。
結果。。。。。雑念はやっぱり出てこなかった。
代わりに、自分の広がった感覚も、別からのイメージもなーんにもなかった。
ただただ、音に集中しただけ。
でもすっきり。
これでいいのだろうか。。。。。。?
うーむ。やっぱりわからん。
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