別におたまじゃくしって音符のことじゃあありません。
ってかえるってその後書いているから誰もそんな事思わないか^^;
なんとなく、今日ご祈願の話を伺っていて家に帰ってからそんなイメージが浮かんだ。
人はいろいろな方向に泳ぐおたまじゃくしみたいだ。
流れに逆らって泳いだり、上だと思ってひたすら水底をめざしていたり。
自分のしっぽを追いかけてぐるぐると泳いだり。
流れに乗ってものすごく早く泳ぐものもあれば、
ゆったりゆったりマイペースで泳ぐものもいたり。
上にいき、下に行き。時にいろいろな泳ぎ方をして。
全員が全員、全く同じ動きをする事はあり得ないし、みんなてんでんばらばら。
でもそれでいい。
最終的におたまじゃくしがめざすところはかえるになること。
個々がそんなの意識していなくても、本能的に。。。というか魂レベルで
かえるになることを欲しているし、実際そうなっていく。
水を出て、かえるになることを仏に成る事だとすれば(ってかえると仏様を同列にかんがえるのはちとまずいかもしれないが。。。)十住心論で読んだ通り、64億劫(??だったっけ??)生まれ変わったら必ず仏になるっていうのも納得。
祈願というのはその目の前にある祈願の内容よりも、そのぐるぐる回っていたり、下を向いて泳いでいたり、とんちんかんな方向をむいて泳いでいるおたまじゃくしをかえるになるための正しい方向に向ける事なのかもしれないと思う。
「おいしい水草が食べたい」
かえるに成るためには体を作らなければならないから栄養満点のえさを食べる必要がある。
十分にえさが足りているのだとすれば、その美味しい水草は不要だ。太ってしまって却って体に悪いしね。
えさが足りているおたまじゃくしが食べた分、他のおたまじゃくしが飢えて死んでしまうのならば、どうだろう?
おたまじゃくし界全体のバランスが崩れないように、もっというのであればいい方向に向くような祈願が実現する気がする。
困った事やかなえたい事、そんな事が目の前にあったりすると日々の生活をどううまくするかにばかり目がいってしまってそれ以上のことがわからなくなってしまうことって良くある。
だけれども、おたまじゃくしやかえるを観察する視線でそれらのことを見てみるとなんだか違ってくる。
おたまじゃくしがみんながみんな、整然とならんで一目散に岸を目指す必要なんてない。
流れに逆らったり、水底をめざしたり、自分のシッポをひたすら追いかけ回す事で得るものもたくさんあるから。
そういう事自体に価値がある。
同じ方向を目指そうとするのも理だし、逆に混沌とするのも自然の理。
全くいままでそういう視点で物事見た事なかったことは一度もなかった!!ということはないかもしれないが、特にここ最近、そんな視点は全くもって忘れきっていた気がする。
ってかえるってその後書いているから誰もそんな事思わないか^^;
なんとなく、今日ご祈願の話を伺っていて家に帰ってからそんなイメージが浮かんだ。
人はいろいろな方向に泳ぐおたまじゃくしみたいだ。
流れに逆らって泳いだり、上だと思ってひたすら水底をめざしていたり。
自分のしっぽを追いかけてぐるぐると泳いだり。
流れに乗ってものすごく早く泳ぐものもあれば、
ゆったりゆったりマイペースで泳ぐものもいたり。
上にいき、下に行き。時にいろいろな泳ぎ方をして。
全員が全員、全く同じ動きをする事はあり得ないし、みんなてんでんばらばら。
でもそれでいい。
最終的におたまじゃくしがめざすところはかえるになること。
個々がそんなの意識していなくても、本能的に。。。というか魂レベルで
かえるになることを欲しているし、実際そうなっていく。
水を出て、かえるになることを仏に成る事だとすれば(ってかえると仏様を同列にかんがえるのはちとまずいかもしれないが。。。)十住心論で読んだ通り、64億劫(??だったっけ??)生まれ変わったら必ず仏になるっていうのも納得。
祈願というのはその目の前にある祈願の内容よりも、そのぐるぐる回っていたり、下を向いて泳いでいたり、とんちんかんな方向をむいて泳いでいるおたまじゃくしをかえるになるための正しい方向に向ける事なのかもしれないと思う。
「おいしい水草が食べたい」
かえるに成るためには体を作らなければならないから栄養満点のえさを食べる必要がある。
十分にえさが足りているのだとすれば、その美味しい水草は不要だ。太ってしまって却って体に悪いしね。
えさが足りているおたまじゃくしが食べた分、他のおたまじゃくしが飢えて死んでしまうのならば、どうだろう?
おたまじゃくし界全体のバランスが崩れないように、もっというのであればいい方向に向くような祈願が実現する気がする。
困った事やかなえたい事、そんな事が目の前にあったりすると日々の生活をどううまくするかにばかり目がいってしまってそれ以上のことがわからなくなってしまうことって良くある。
だけれども、おたまじゃくしやかえるを観察する視線でそれらのことを見てみるとなんだか違ってくる。
おたまじゃくしがみんながみんな、整然とならんで一目散に岸を目指す必要なんてない。
流れに逆らったり、水底をめざしたり、自分のシッポをひたすら追いかけ回す事で得るものもたくさんあるから。
そういう事自体に価値がある。
同じ方向を目指そうとするのも理だし、逆に混沌とするのも自然の理。
全くいままでそういう視点で物事見た事なかったことは一度もなかった!!ということはないかもしれないが、特にここ最近、そんな視点は全くもって忘れきっていた気がする。
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